地鶏 ♯36
海外ドラマ、ウォーキング・デッド。
一言で言うとウォーカーと呼ばれるゾンビが溢れ返る世界で生き残りをかけて戦う人々の物語である。
現在シーズン6までレンタル可能で近々シーズン7が放映される大人気海外ドラマだ。
ゾンビだけでなく人間の狂気も見事に描かれていてゾンビドラマだが非常にリアリティがあって、手に汗握る展開の連続に中毒者続出中の名作なのだ。
かく言う私も中毒者の一人なのだが6年前から始まって、
今現在までずぅ~~~~~~~~~~~~~~と気になって頭から離れ無い事がある。
それは、シーズン1、第1話の冒頭の数分…
誰も居ない道路を1人の少女が歩いている…
↓
その少女が道に落ちているぬいぐるみを拾う…
↓
ぬいぐるみを持って歩いて行く少女に背後から警官が声をかける…
↓
少女が振り返るとゾンビだった…
↓
少女ゾンビの脳天を滞りなく撃ち抜く警官…
↓
オープニング。
…という所から物語が始まるのだが、このシーンのおかげでウォーキング・デッドを観続けて今日に至るまで、期待と裏切りのスパイラルが私の心を騒つかせるのだ…
何が問題かと言うと、少女ゾンビがぬいぐるみを拾うシーン。
ぬいぐるみを拾うって行為は感情が無いと出来ない訳である。
つまり、ぬいぐるみを拾った少女ゾンビは生ける屍となった今も、何かしらの情緒が残っていてるのだと推測出来る。
きっと物語が進むにつれ、ゾンビに感情が芽生える展開を用意しているのだな…
なるほど、第1話の冒頭に物語の核になる伏線を紛れ込ませるパターンか…ふふふ、中々粋な演出ではないか…
確かに情緒を無くしたゾンビに感情が芽生えるシーンにはドラマがある。
大切な人がゾンビになったからといって葬って終いでは救いが無い…
人の心を宿して死に逝くゾンビで我々を感動させるつもりなのだな…ふふふ、これは楽しみになって来た!!!
ワクワクが止まらねぇーぜぇーウォーキング・デッドォーーー!!!!!
…と、思い続けてシーズン7…
その気配、いっっっっっっっっ切無し!!!!!!!
登場するのは、ただただ疎まれて邪魔ばかりするゾンビだけ!!!
人と人とのドラマは有っても、そこにゾンビの入り込む余地は皆無かつ絶無!!!
なので毎シーズン面白いのだか観終わった後の感想はたった一つ…
…ん…?…アレ…?か…考え……過ぎ………?
…と、こんな感じでシーズン7に期待する私だがそろそろ期待するのにも飽きてきた。
と言うか監督も忘れてる様な気がする…
と言う事はもう自力である。
ゾンビによる自力に期待する他無い。
シーズン7こそ、腐らずに死ぬ気で頑張れゾンビ!!!!!
地鶏 ♯35
自分で言うのも可笑しな話だが、私はコミュニケーション能力が高い方だと自負している。
そのお陰で人からはポジティブな性格だと思われがちだが実は超絶ネガティヴな根暗野郎である。
百貨店のバーゲンセールで大売り出しするほど大量に悩みは有るし、その悩みの為に地球上から消え去りたくなる事だってある。
ただ、人が生きていく上で大きなウェイトを占めるであろう人間関係での悩みは比較的少ない方だと思う。
なんだかんだ言って人には恵まれてるのだ。
非常に有難い話である。
なので人が好きだし、人と関わるのも好きだ。人とコミュニケーションを取る毎に失敗も多くしたが同時に学習もさせて頂いた。
その結果『人の存在を認めて受け入れる』事が人と関わる上で一番重要なのだと私は思う。
一応、勘違いのない様に言っておくが、万人を好きになれなどと釈迦説法の如き理想論を唱えている訳では無い。
誰にだっていけ好かない奴の10人や20人は居るだろう。
当たり前だが嫌いな人間を受け入れる必要など一切無い。
しかし、嫌いな人間の「存在」は受け入れなければならない。
何故なら存在してる事実は変わらないし変える事は出来ないからだ。
いくら嫌いな人間の存在を否定した所で紛れもなくその人は存在するのである。
いくら憎しみと悪意を込めて脳内補正をかけても自分以外の人間が存在する事実は絶対的に変わらない…
そう考えるとストレスフリーとまではいかないが悩みの緩和になったりするのである。
真に深く考えるべきは不可能性では無く可能性であるべきだ。
人を変えるよりも自分を変える事を最優先事項として実行する。
当然、自分の幸せを阻害する様な非生産的な暴挙に出てはいけない。
あくまで生産的に自分と向き合う必要があるし、その方が幸福である。
自分を認める事が出来たら他人を認める事も出来るが、自分を認められなければ他人を認める事もきっと出来ない。
世界にたった独りのスーパーレアな自分を認めてあげられたら…
好きになれたら…
自分以外の人を好きになれるし嫌いな人を敵視する事も無いと思うのである。
自分の中の嫌いな部分を投影させて人を見るよりも、自分の好きな部分を育てて人に見て貰える人間になる為のアイラブミー♡
地鶏 ♯34
久方振りの投稿。
色々あって私は旅に出ていた…
そう、自分探しの旅に…
己に対する猜疑心や葛藤の挙句、自分の価値について疑問を持つ様になっていたのだ。
自問自答…
肯定と否定の繰り返し…
濃霧の中を手探りで歩く感覚…
霧の晴れた場所を見つけたと思ったら直ぐさま霧に呑み込まれる日々の連続…
そして、そんな白けた旅の果てに導き出された一つの答え…
そう、遂に私は私を見つけたのだ。
本当の渡邊圭祐という存在…
これが嘘偽りの無い私の姿である。
地鶏 ♯33
本日はワイルドについて考えてみたいと思う。
ワイルドについての考え方は人それぞれだろうが、私が考えるワイルドの象徴はサングラスである。
グラサンと略す人も居るが、たった1文字多いだけだしカタカナの「ス」は好きなカタカナのひとつなので、略すのは嫌なのだ。
ちなみに私が好きなカタカナランキングベスト5は
「ア」「ケ」「ス」「ユ」「ワ」
である。
自分の名前の中にベスト5の内の3文字が入っているのは何かしら運命的なモノを感じるが、ただの偶然だろうと言う結論を経て話しを元に戻す…
そう、ワイルドアップアイテムのサングラスについての話しだ。
おそらくだが、サングラスをかける事でワイルドにならないモノは地球上には存在しないと推測する。
世の中には可愛いモノで溢れかえっている。
仔猫、マカロン、キャラ弁、苺大福、ハーフアップ、星果庵の金平糖、シルバニアファミリー、アルファード…などなど、例を挙げるとキリが無いが、これらの全てもサングラスをかける事によりワイル度(ワイルドを表す単位)が上昇する。嘘だと思うなら脳内でサングラスをかけさせば良いだろう。
私自身もどちらかと言うと可愛いにカテゴライズされる存在だが、サングラスをかける事で写真の様にワイルドな風貌になってしまう。
サングラスを付ける前の私のワイル度を0だとすると確実に45ワイル度にまで達しているのがお分かりだろう。
サングラスをかけるという至極単純な行為で誰でもワイルドを気取れるのはワイル度不足の人には朗報だ。
簡単にワイルド欲を満たせてしまうサングラスという偉大なワイルドを、あなたの日常の中のプラスワンにしてみては如何だろうか?
…と、言う事でワイルドの「Y」!!!
地鶏 ♯31
人体の70%は水分で構成されている。
つまり、人間はほとんどが水という訳だ。
仮に水道の水をペロペロ舐めるとする…
それ即ち、 女体を愛撫しているのと限りなく近い訳だ…